新車でも100万円以下! ダチア・ローガンの秘密

去年の秋から続いている世界同時不況のために、ヨーロッパの自動車メーカーは売り上げの低迷に苦しんでいる。その中でただ一つ快進撃を続けているメーカーが、ルーマニアに本社を置くダチアである。

そのことは、ヨーロッパ自動車工業連合会(ACEA)の統計にはっきり表われている。ACEAによると、今年1月から3月までに西欧19カ国(EU・欧州連合西部の15ヶ国とEFTA・欧州自由貿易連合の4ヶ国)で登録された新車の台数は、前年の同じ時期に比べて16・3%減少した。

欧州のトップメーカーであるフォルクスワーゲン・グループではマイナス7・4%、フィアット・グループではマイナス9・4%、トヨタ・グループはマイナス15・6%、ダイムラーはマイナス23・8%と、主要メーカーはいずれも不況によって深刻な打撃を受けている。

ところがダチアの車の登録台数は、前年の同じ時期に比べて26・5%増加し、3万1514台になった。今年の第1・四半期に登録台数をこれほどのペースで伸ばしたメーカーは、他にない。今年3月だけを見れば、ダチアの製品の登録台数は前年に比べて84・8%も増えている。

1966年にルーマニアのピテスティで創業したダチアは、1999年にフランスのルノー・グループに買収された。ダチアの車は、今年1月から3月までに西欧で登録されたルノー・グループの新車登録台数の12%を占めている。この時期にルノー・グループ全体(日産を除く)の新車登録台数が19・3%減少したのに対し、ダチアの車だけは逆に販売台数を増やしているのだ。

ルノー・グループが本社を持つフランスでも、ダチアへの人気は高まる一方である。フランス自動車工業会によると、今年4月に同グループの一部であるルノー社の新車登録台数が前年比で23・7%減少したのに対し、ダチアの登録台数は逆に60・4%も増加した。ルノー社のマーケット・シェアが7・9%から1ポイント減ったのに対し、ダチアはシェアを1%から1・9%に増やしている。ダチアはルノー・グループの希望の星なのだ。

 欧州最大の自動車市場であるドイツでも、ダチアは販売台数を飛躍的に伸ばしつつある。ドイツ自動車工業連合会(VDA)によると、2008年にダチアの新車登録台数は前年に比べて43・9%も増加し、単独のメーカーとして最高の伸び率を記録した。ドイツの全ての国内メーカーを合わせた新車登録台数が0・9%減っているのとは対照的である。今年1月から4月にも、ダチアを含むルノー・グループは、ドイツでの新車登録台数を、前年同期比で17・9%増加させている。

 ダチアの人気の理由は、低価格である。今年6月の時点で、ドイツで売られている主力モデル・ローガンの最も安いタイプ(標準装備のセダン)は、7300ユーロ。1ユーロ=130円の交換レートで換算すると94万9000円だが、購買力も加味した西欧の感覚では、7300ユーロはむしろ73万円に近い。ただし今年6月の時点では、側面からの衝撃を和らげるサイド・エアバッグや、ESP(横滑り防止装置)、クーラーなどは標準装備ではない。後部ドアが観音開きのバン、ローガンMCV(標準装備)の価格は8500ユーロ(110万5000円)これでも、フォルクスワーゲン・ゴルフの新車のおよそ半分の値段である。

この低価格のために、ダチアがドイツやフランスで2005年に発売したローガンは、西欧で大反響を巻き起こした。フランスでは、最初の5000台がまたたく間に売り切れた他、ドイツでもユーザーは予約してから車を買えるまでに2ヶ月待たされた。特に所得水準が旧西ドイツよりも約18%低い旧東ドイツでは、ローガンの人気が高い。

今年に入って、ダチアの車の売れ行きにさらに拍車をかけているのが、欧州各国の政府が不況対策として始めた「車の買い替え奨励金」制度である。ドイツでは、今年末までに新車を購入し、9年以上経っている車を廃車処分にした市民は、政府から2500ユーロ(33万円)のボーナスをもらうことができる。

ドイツで走っている車は、新車登録から平均9年経っている。登録から16年ないし25年経っている車も、400万台に達する。ドイツ人ドライバーには自分でこまめにメインテナンスをする人が多く、部品交換などによって、30万キロから50万キロも乗る人は珍しくない。(ミュンヘンには、走行距離が200万キロのベンツに乗っているタクシー運転手もいる)。長持ちする製品が、新車が売れない理由の一つとなっていたのだ。

買い替え奨励金制度は、一時的な「新車購入ブーム」を生んだ。週末になると、車のディーラーの前に人だかりができるようになった。ドイツ政府は当初奨励金の財源として15億ユーロ(1950億円)を準備していたが、新車の購入希望者がディーラーに殺到したため、自動車業界の要請を受けて財源を50億ユーロ(6500億円)に引き上げた。これは新車200万台分の奨励金に相当する。

買い替え奨励金は、高価な車よりも安価な車のメーカーに恩恵をもたらした。ドイツ自動車産業中央連盟(ZDK)は、今年1月から4月末までに買い替え奨励金を利用して注文された車の台数を、メーカー別に調査した。その結果、この制度を利用するユーザーに最も多く注文されたのはフォルクスワーゲンで、17万台。ダチアとルノーは6万台を受注し、第3位となった。ちなみにBMWの受注量は4000台、メルセデスは1633台にとどまっている。

確かに、3万ユーロのベンツを買うと政府の補助金2500ユーロは価格の8・3%にしかならないが、8700ユーロのローガンを買えば、政府が29%を負担してくれることになる。政府の補助金を使えば、最も安いタイプのローガンを4700ユーロ(61万1000円)で買えるのだ。私が住んでいるミュンヘンでも、今年に入ってからは真新しいローガンが路上に停めてあるのを時おり見かけるようになってきた。

同じような買い替え奨励金は、フランス、イタリア、スペインなど欧州の少なくとも10ヶ国で導入されている。

リーマン・ショック以来の不況に直撃されたダチアにとって、この買い替え奨励金制度は救世主となった。同社のフランソワ・フールモン社長は、「去年の10月以来、販売台数が落ち込んだため、生産を9週間にわたりストップしなくてはならなかった。春には従業員の一部を解雇することも検討していたが、買い替え奨励制度のために状況が一変し、解雇を避けることができた。特にドイツからは1月と2月だけで3万台の注文が舞い込み、4月には1万1000台の受注があった。このため土曜日にも操業するなどして、生産を拡大した」と説明する。

またファブリース・カンボリーヴ販売部長は、「今年の第1・四半期にドイツ、フランス、ルーマニアから4万台の受注があった。不況のために、全てのマーケットでユーザーの嗜好が変わってきているのではないか」と語る。つまり世界的な不況のために、市民が低価格の車を求める傾向が強まり、ダチアにとっては追い風になっているというのだ。

ダチアが2008年に販売した車の台数は、前年よりも12・2%増加して約25万8000台になった。その内67%がルーマニア国外で売られた。輸出車の40%はフランスとドイツで販売されているが、今年は買い替え奨励金によって両国のシェアがさらに高まるものと見られている。またダチアの車はトルコ、アルジェリア、ウクライナ、ロシアなど欧州の周辺地域だけでなく、イランやコロンビアでも販売されている。(ダチアの広報によると、今のところ日本で販売するという予定はないようだ)。

ダチアの車が安い最大の理由は、ルーマニアの労働コストが西欧諸国に比べて大幅に低いことだ。そのことは、ケルンのドイツ経済研究所(IW)が2007年の製造業の労働者の1時間あたりの労働コストを比較した調査にはっきり示されている。

ドイツの労働コストが32・7ユーロ、フランスが32・26ユーロであるのに対し、ルーマニアの労働コストはわずか3・23ユーロ。独仏のほぼ10分の1にすぎない。IWが調査した西欧・東欧諸国など32ヶ国の中で、ブルガリアに次いで最も労働コストが低い。東西ヨーロッパ間に横たわる労働コストの巨大な格差が、ダチアの価格競争力の鍵なのだ。

さらに部品の共通化も、低価格の理由の一つだ。主力モデル・ローガンはパリ近郊にあるルノーの技術センターで設計され、エンジンやギアボックスなどにルノー・グループの他の車の部品を使うことによって、コストを抑える努力が行われている。

西欧の自動車市場は、品質の高い製品を提供する老舗メーカーがしのぎを削る激戦場だ。目が肥えたユーザーが多いだけに、自動車専門誌ではふつう辛口の批評が目立つ。だが興味深いことに、ダチアは自動車ジャーナリストからも、前向きの評価を受けている。ドイツのカー雑誌「アウト・ビルト」は今年一月「金融危機から逃げるための車を探しているのならば、ダチア・ローガンのバンは候補になるかもしれない」とコメントした。「金融危機からの逃走車」とは、不況で懐がさびしい時にも買える車という意味だ。別の雑誌はローガンを「価格破壊カー」と呼ぶ。

ローガンを試乗した自動車ジャーナリストたちのレポートを読むと、「デラックス感や格好良さはない。この車に乗って、ディスコの前で女の子を誘うのは難しいだろう」として、イメージの面で損をしていると指摘。だが同時に「最低限必要な物はそろっている。背の高い人にとっても狭苦しい感じはなく、このサイズの車としてはトランクの容量が大きいのは便利。ギアチェンジもスムーズで、サスペンションの効き具合も快適」と好意的な評価を行っている。

興味深いアンケート結果をご紹介しよう。ドイツ最大のドライバー組織ADAC(全ドイツ自動車クラブ)は、毎年ユーザーの満足度調査を行っている。去年11月に発表された調査結果では、4万3000人のドライバーが自分の車に満足しているかどうかについて、回答した。その結果ダチアの車は、32社の中で第6位になった。また「あなたが今乗っているメーカーの車を再び買おうと思いますか?」という質問では、ダチアは第3位という高い評価を得た。つまり、現在ダチアに乗っている市民の間では、自分の車に対する満足感がきわめて高いのである。

自動車王国ドイツで、ダチアの車がメルセデスやBMW、アウディ、さらに大半の日本車よりも高い満足度を顧客に与えているというのは意外に思える。ADACの月刊誌「モートアヴェルト」は、この現象を次のように分析している。「このアンケート結果は、ルーマニアの車が優れているということを意味しているのではない。むしろ、ダチアの車を買う市民が、高い金を払って高級車を買う市民ほど車に対して多くを期待しないということが原因だろう」。

つまり新車を100万円以下の金で買うことができ、その車がひんぱんに故障しなければ、車体の格好良さはなくてもユーザーは満足するというわけだ。この国では外見や世間体よりも実用性、そして費用対効果の関係を重視する人が多い。庶民の間では「Geiz ist geil (がめついことは、良いことだ)」という言葉が流行っている。ADACの調査結果は、この国民性を強く反映している。

1990年代に、ルノー・グループは中東欧などこれまで西側の車が普及していなかった市場に、5000ユーロ(65万円)前後の車を投入する戦略を立て、ダチアのローガンを生んだ。だがもともと低所得市場向けに作られた車が、フランスやドイツなど比較的所得が高い国でもよく売れているのは興味深い。

この現象は、日本と同じく西欧でも中流階級に属する市民が減り、所得格差が広がっていることと無縁ではない。ダチアの成功に触発されて、今後西欧市場では大衆向けの低価格車をめぐる競争が一段と激しくなるかもしれない。

 

図表用データ

ADACの顧客満足度調査(資料・ADAC月刊誌「モートアヴェルト」2008年11月号)

 

「あなたは今乗っているメーカーの車を再び買いますか?」

5段階評価(1=絶対に買う、5=絶対に買わない)

 

ランキング         メーカー                      評価

 

                        スバル                              1・26

                        ポルシェ                          1・29

                        ダチア                              1・30

                        ホンダ                              1・43

                        アルファロメオ              1・45

                        トヨタ                              1・46

                        マツダ                              1・47

                        ジャガー                          1・49

                        シュコダ                          1・52

10                        アウディ                          1・52

11                    スズキ                              1・53

12                    ダイハツ                          1・55

13                    サーブ                              1・55

14                    三菱                                  1・57

15                    BMW                               1・58

16                    ボルボ                              1・61

17                    現代                                  1・65

18                    メルセデス                      1・70

19                    クライスラー                  1・75

20                    シトロエン                      1・78

21                    フォード                          1・82

22                    オペル                              1・84

23                    フォルクスワーゲン           1・84

24                    日産                                  1・85

25                    起亜                                  1・86

26                    スマート                          1・88

27                    セアート                          1・88

28                    ランドローバー              1・94

29                    フィアット                      1・96

30                    プジョー                          2・07

31                    ルノー                              2・30

32                    大宇                                  2・33

毎日新聞社エコノミスト 2009年7月22日発売号 掲載